ブスに幸あれ

読み終わった。

ブスの瞳が恋されて

ブスの瞳が恋されて

とても面白かったし、とても感動した。美人とブス。世の女性をこの二つに分けるとしたら、私はブスのほうに入るだろう。これはもう間違いなく。残念ながら。悲しいことに。私のことを美人だと思ってくれるのは両親と祖父母くらいだろう。一般的にはブスだ。だから、

私の性格はもっともっとブスだ。嫌いな奴は死んでしまったらいいのになぁ、と日々思っている。テレビで泣いている芸能人を見ると、好感度が欲しいのだと思ってしまう。嫌なことをされたら、その悔しさを一生忘れないように、一生そいつを恨めるように、手帳に事細かに書いている。性格は修正が利かないほど、ねじ曲がっているのが自分でもわかる。
顔は遺伝とというものがあるので、仕方ないと思う。でも性格ブスは世間が作り出した化け物だ。人は「醜い」ものより「美しい」ものを好む。これがすべての原因になっている。男は「ブス」よりを「美人」を好む。合コンで、自分は話しかけられないのに、男友達3人と楽しく会話をしている美人を横目で見るブス。お会計時には、自分は払ったのに美人だけおごられているのを見るブス。または校舎裏でデートをしている友達カップルを横目で見ながら見張りをしているブス。こんな人生で性格が良かったら、それを奇跡と呼ぼう。

というのが、とても理解できる。私も同じく性格がひねくれ曲がっている。嫌いな奴には死んでほしいと思ったりする。嫌なことがあったときなんかは、全員死ねと思うこともある。声に出して「死んでください」とは言わないが、心の中で、もしくは一人になったときにこっそり「死ね」とつぶやいたりする。私の中は妬み嫉みで埋め尽くされているのかもしれない。街でやたらイチャついているカップルを見るだけで、セイヤーッと間に割って入って行きたい気持ちになる。それは今私が独り身であるからではない。私自身過去に彼氏がいて、やたらイチャつきながら歩いているときでもそうでもないときでも、自分のことは棚にあげて、やはり他のカップルを見ると、セイヤーッと間に割って入って行きたい気持ちになっていた。きっと満たされていなかったのだと思う。
私は手帳に事細かに記したりはしない。そんなことをしなくても、嫌なことをされて悔しい思いをしたことは覚えているものである。忘れてしまいたくても忘れられない。高校生のときのことはもちろんのこと、小中学生のときにされた嫌なこと、傷つけられたことなど、事細かに覚えている。執念深く覚えている。いつかそいつらに会ったら、昔あなた方にこういうことをされました、言われましたと言ってやりたいが、された方は執念深く覚えていても、した方はしたことはもちろん私のことなどきっと覚えていないのだ。そういうものだ。本の中に、大島さんが昔いじめていた奴に復讐に行くという内容のものがあった。詳しい内容は本を読んでいただきたいが、私はそれを読んで心の中がすっきりした。もっとガンガンいってほしかったが、復讐に行くというその行為がもうすばらしい。
私の中は妬み嫉みで埋め尽くされ、他人の幸せを一緒に喜ぶ余裕などない。が、大島さんだけは応援したいと思う。というか、チクショー羨ましいぜバーカバーカ死ねという気持ちにはまったくならない。これまでたくさんつらくて苦しい目に遭って、やっとつかんだ幸せだから。この二人が離婚したら、私はショックで立ち直れない。
私にも突然プロポーズしてくれる人が現れないかなー。